初代社長 吉金 祐助

経歴
明治36年4月25日生
大正8年畳職修業。以来畳事業を一筋。
昭和37年京阪神畳事業協同組合理事就任。

 生活が洋風化してきて、建築物も洋風のものが増えているといっても、まだまだ畳への需要は大きいようです。その畳製造も全国的に機械化が進んだとはいえ、手縫いの醍醐味は今なお根強く、尊重されています。

畳職人として初めて
勲六等瑞宝章を受章する。(1982年)

<当時の組合からの推薦文>

●畳は日本人の住生活に欠くことができないという信念

 15歳で畳職修行の道に入って以来60年有余年の間、吉金さんは”畳は日本人の生活には欠かせない、価値あるもの”と信じ、畳職一途に精進を重ねてきました。畳の生命ともいわれる二畳台四隅角付、四方縁縫いに成功し、模範的技術者となったのも、この精神のたまものといえるでしょう。また刳貫き畳の縁付け技能も修得しています。全国に同業者多しといえどもこれを消化できるものは現在なく、業界の至宝とたたえられています。
 さらに流備表を活用させました。紋合せ畳 、置畳等の製作技術も抜群で、周辺の神社、仏閣等の特殊畳の施工を手がけて、多くの作品を納めています。

●業界に対する熱心な協力

 畳製作の近代化と業界のレベルアップを図って、京阪神畳事業協同組合が創設されるやいなや、吉金さんはその事業の一翼を担い、組合の中核となって協同作業場の建設に奔走しました。ほとんど未経験であった従業員への技術の養成指導にも日夜尽力して良品畳の製作に没頭し、名実共に組合を全国に知らしめるようにした、大きな功労者です。
 また国策による稲作の減産で、大幅なワラ不足を来たした結果、その解消の一策として考えられた、スタイロフォームを使用した化学畳の製作にも協力しました。独自の技法を加えつつ時代にマッチした居心地よい畳の仕上げに力を尽くしたことも、注目に値するでしょう。